顔の見えるインターネットはリンチを捗らせた
このアナウンサーむくつくわー
君にこんな病気の知り合いいたっけ?
いや私にはなんの関係もないけどムカつくの
間違いなく精神の病気だけど、昔から自分に何も関係ないけど失言した人を横から叩きまくりたい人はいた。
僕も長谷川は嫌いで、それはたぶん彼が社員時代だと思うけど、アナウンサーの裏側に密着するような番組だかコーナーで自分の息子に「チンチンついてるやろ?」「だったら男らしくしなあかん」みたいな事を車を運転しながら言ってる姿に強い不快感を覚えたからで、でもそれは思想的とすら言えない、感覚的に、生理的に無理だったというだけの話であり、長谷川の人生全てを壊してやりたいというような攻撃衝動は持たなかった。
僕のようなごく普通の健全な精神を持っていれば軽く眉をひそめることはあっても、それだけで終わる話なのだ。
しかしインターネットはある程度の金さえあれば万人に解放されていて、やばい人がいくらでも情報を送受信している。
信じられない話だが昔はブログのコメント欄で閉鎖しろと数十件のコメントが寄せられただけでサイトを閉鎖するピュアな人がいた。
いまやそんな批判コメントが来た日にはトラフィックを集めた成果に笑いが止まらなくなるだろう。
また精神を制御できない人たちもサイトが閉鎖されただけで大満足していた。
それが今では顔写真を載せ、勤務先やら学校名を載せ、家族構成を知らせ、その家族まで様々な情報を公開している。
サイト閉鎖程度では私刑として華に欠ける。
ネットの仮想人生など壊す価値もなく、というよりもネットとリアルを分けて言う必要もなくなった。
顔の見えるインターネットは信用できる情報を増やし、顔が見えるゆえに現実に喜怒哀楽と共に生活している人間をむやみに傷つけない理想郷を実現するはずだった。
2016年のインターネットを眺めると、顔の見えるインターネットはリンチを過激にしたようにしか見えない。
当たり前だが詐欺師は現実に顔を晒しながら嘘をつき、サイコパスは目の前にいる人間を平気で傷つける。
バカは顔が丸出しでも平気で言ってはいけないことを言うし、やってはいけない事をやる。
インターネットは革新的な素晴らしいものではあるが、未成熟な人類には過ぎたおもちゃなのだろう。