なんきん!

女に飼われて軟禁生活している男の日記

結局は高須。高須を食える糞ガキはもう出ないのか

「水ダウおもろいわ〜」

「そうか?」

「ガキ使はもう終わりやな。時代は水ダウや!」

 

 どっちにしても結局は高須である。

 お笑い芸人が小粒なのはいまさら言うまでもない。かつていたギターを抱えた気色の悪い玉無しロン毛どもは正当な評価として無価値とされ、いまや糞つまらない遅いテンポの糞芸人が価値あるお笑い芸人として跳梁跋扈している。

 しかし重大な問題は作家が大御所の金魚の糞しかいないという点にある。

 高須がつまらないという訳ではない。しかし高須の笑いはもはや揃えたパターンを煎じ詰める段階に入っており、新しいものはありえない。絶対に高須から外れた新しい笑いは出てこない。

 にもかかわらず、作家は裏でこそこそどころか臆面もなく高須の影響を受けて高須の笑いを作っている。

 せめて作家と名乗らずに高須のオナホと名乗れば許せるのだが。

トンキンや屯田兵団は効いてるが大阪民国は効かないのか

「まーた大阪民国か」

「へー。でもトンキンでも似たような暴行事件起きてるよ」

「トンキン言うなや!」

「なんで怒るの? 君はトンキン出身じゃなくて屯田兵団出身でしょ?」

「殺すぞ」

 

 

 東京の人はほとんどが田舎から出てきた人間で、今でも都会に憧れて上京する若者がいる。彼らはコンプレックスの塊であって、都会風の生き方に馴染んでいても、心のどこかで田舎モノ丸出しになっていないか心配らしい。

 そんな彼らが風説の流布のために、すなわち東京こそ世界の中心であり愛を叫ぶのにふさわしい場所であるという説が真実だと主張するためにネットに目をつけた訳だ。

 今やネットは完全に東京主流である。

 一方で、ネットに目をつけたクラスタがいる。屯田兵団である。彼らは日本人としては異質で物理的精神的苦痛に強く、そういう苦痛を他者に与えても良品の呵責が薄い。海外事情に疎い日本人に、あたかも自らの発明であるかのように様々なものを外人の発明を提供したりとか、ネット上の誹謗中傷を日本のネット世論のように飾り立てて金を儲ける才能がある。

 ネットは東京主流であり、屯田兵団が実働部隊として現場仕事を遂行しているという図式だ。

 その一方で大阪民国や韓国非常事態用の琉球基地はネットに疎い。というよりネットに興味が薄い。

 大阪民国は極度の拝金主義であり、安い……どころかタダで金を儲ける事を良しとする。彼らからすればネットが盛り上がっていればそれでいいらしい。人が集まればそこに乗っかり何かしらの商売ができるのだから。

 また大阪民国人は遊ぶために金を稼ぐ。大阪民国人の遊ぶというのは馬鹿を見て笑うという事である。その馬鹿は他国であろうが自国であろうが自分であってもかまわないのだ。ここにトンキンや屯田兵団との大きな違いが見られる。ネットの主流派からすれば大阪民国は異文化異教徒の巣窟だろう。

 名誉を得るのはトンキンであり、開拓の誇りは屯田兵団のものになるだろうが、金を得るのは大阪民国になるだろう。

 そして琉球基地人は、今日も海を眺めて絵でも描いているのだろう。

顔の見えるインターネットはリンチを捗らせた

このアナウンサーむくつくわー

 

君にこんな病気の知り合いいたっけ?

 

いや私にはなんの関係もないけどムカつくの

 

 間違いなく精神の病気だけど、昔から自分に何も関係ないけど失言した人を横から叩きまくりたい人はいた。

 僕も長谷川は嫌いで、それはたぶん彼が社員時代だと思うけど、アナウンサーの裏側に密着するような番組だかコーナーで自分の息子に「チンチンついてるやろ?」「だったら男らしくしなあかん」みたいな事を車を運転しながら言ってる姿に強い不快感を覚えたからで、でもそれは思想的とすら言えない、感覚的に、生理的に無理だったというだけの話であり、長谷川の人生全てを壊してやりたいというような攻撃衝動は持たなかった。

 僕のようなごく普通の健全な精神を持っていれば軽く眉をひそめることはあっても、それだけで終わる話なのだ。

 しかしインターネットはある程度の金さえあれば万人に解放されていて、やばい人がいくらでも情報を送受信している。

 

 

 

 

 信じられない話だが昔はブログのコメント欄で閉鎖しろと数十件のコメントが寄せられただけでサイトを閉鎖するピュアな人がいた。

 いまやそんな批判コメントが来た日にはトラフィックを集めた成果に笑いが止まらなくなるだろう。 

 また精神を制御できない人たちもサイトが閉鎖されただけで大満足していた。

 それが今では顔写真を載せ、勤務先やら学校名を載せ、家族構成を知らせ、その家族まで様々な情報を公開している。

 サイト閉鎖程度では私刑として華に欠ける。

 ネットの仮想人生など壊す価値もなく、というよりもネットとリアルを分けて言う必要もなくなった。

 

 

 顔の見えるインターネットは信用できる情報を増やし、顔が見えるゆえに現実に喜怒哀楽と共に生活している人間をむやみに傷つけない理想郷を実現するはずだった。

 2016年のインターネットを眺めると、顔の見えるインターネットはリンチを過激にしたようにしか見えない。

 当たり前だが詐欺師は現実に顔を晒しながら嘘をつき、サイコパスは目の前にいる人間を平気で傷つける。

 バカは顔が丸出しでも平気で言ってはいけないことを言うし、やってはいけない事をやる。

 インターネットは革新的な素晴らしいものではあるが、未成熟な人類には過ぎたおもちゃなのだろう。

ユーキャンフライとは自殺教唆であり、リスカコールこそが応援メッセージであるということ

台風一過の度に台風一家だねおじいちゃんと僕の心の内のももこがささやく。台風一過のわりに晴れ渡ることなく曇天の空模様を見ていると、効率化を目指す生けるコンピュータ制御コアであるはずのプログラマーはなぜ頭ハッピーセットのポエマーになるのかと思考が疑問を呈した。

ネットで活発に活動するメンヘラに限定すると、最大勢力は病んでる自分に酔っている似非メンヘラであり、彼らは元気にTwitterをやっている。ただしそのゆるふわな楽しい病みライフの中に隠れるようにガチ勢が紛れ込んでいるので下手に関わってはいけない。例えば、

 

誰も見ない日記を書くのって楽しい?

 

などと満面の笑みを浮かべて人に話しかけるようなのがガチ勢である。

メンヘラとは本来、野生動物の威嚇行為であり如何に己が強い攻撃衝動を持っているかの誇示でありその為には自らの手首を死なないギリギリまで切り裂くことも厭わない自他生きとし生けるもの全てに対してサディスティックなのだ。

ネットでいうメンヘラはかまってちゃんだとか性欲過多の儚げなイカレポンチというのはあくまで俗説であり、願望であり、理想とすら言える。いや正確には性癖だ。なぜなら人は誰しも自分に劣るものに依存されたいのだから。

話を本筋に戻す。第二にネットでアグレッシブに活動するメンヘラ勢がプログラマーである。一般常識に沿ってごく普通に考えればトチ狂ったプログラマーであれば人類を消去するためのコードでも書きそうなものだが、何故か気の触れたプログラマーはポエムに傾倒する。しかも他の健常者に理解できない言語ではなく、ありふれた日本語でポエムる。恐らく人間に備わった防衛機構のようなものが働いていて、胡散臭い理系に極端に傾いた精神がクソ文系にガッツリ傾く事でシーソーのようなバランスをとっているのだろう。だが実際は砂漠と北極を往復しているようなものであり、ずっと砂漠に住んでいるよりもよっぽど体と心に悪い。良心ある人としてもっと彼らの事を研究して理解を深めるべきだとは思うのだが、

 

ねえねえなんでそんなに気色の悪いことをつぶやけるの?

殺すぞ

ポエム書きたいなら文系に行けばよかったじゃんバカなの?

殺すぞ

 

こういう感じでコミュニケーション能力はほぼ失っているので真相はわからない。我々はメンヘラを観察することしかできないのだ。そして出来ればネットを通しての観察が望ましいというのが僕の結論である。

自らの意思で軟禁生活にも似た生活を行っているのであり、不法な行為は一切なく事件性はありません

軟禁生活を送って早幾月。

外部との繋がりが一切ないオフラインな生活に嫌気がさしてTwitterとかやらせてほしい愚にもつかないクソゴミ達とでもいいから繋がりたいと具申するも浮気するならお前を殺して私も死ぬというテンプレメンヘラレスポンスを頂戴し、粘り強い交渉を続けること一週間と五日。

はてなダイアリーなら自殺しない限り誰も助けてくれないからという言葉が決め手となり、はてなブログ開設に至った。

コメント欄で誰かとコミュニケーションをとったら殺すという言葉通りコメント欄も閉じている。僕は何も嘘は言っていない。

実際のところ、はてなユーザーもスタッフも助けてくれないどころか出来の悪いネットの与太話としか思わないから嘘はないのである。

嘘があるとするならば軟禁生活をしているという点であり、僕が自発的にあたかも第三者からすれば軟禁生活かのような生活を送っているというのが正しい。やや束縛の強いヒモ生活であることを留意していただきたい。

いろいろ書きたかったはずだけどブログ開設でとりあえずすごくストレス発散したので今日はもう終わろう。

願わくば明日も更新許可もらえますように。